2014年11月16日日曜日

花開くカウンター・カルチャー




アメリカには世界有数の消費社会だが消費文化に対する対抗する文化(カウンター・カルチャー)が途切れることなく根強く流れている。

善良な人々が自分達の土地から追い出され、路上で放浪させられて、飢えに迫られていく。故郷を捨て自分達の進む道をカリフォルニアに見出そうとする。

1957年に公表されたジャック・ケルアックの「路上 (ON THE ROAD)」は51年に書き上げられていた。しかし公表されたのはロックンロール全盛の57年になってからだ。


ロックの過激さがビート族にもスポットライトをあてた。

ティーン・エージャーなる新しい言葉もロックンロール時代に誕生したマーケティング用語で、10代は市場のターゲットになった。

<花開くカウンター・カルチャー>

ジョン・レノンが「エルヴィス以前にはなにもなかった」と語ったが、エルヴィス登場によって一気にカウンターカルチャーの花が咲いた。






プログラム・ピクチャー








その1年前、1956年、日本では石原慎太郎の「太陽の季節」が出版され、芥川賞を受賞。創設間もない日活映画によって映画化された。

その時、風俗アドバイザーとして製作に関わった石原裕次郎が脇役で出演。そのインパクトを買われ「狂った果実」で主演。またたく間に、日活を代表するスターとなった。

この当時、邦画五社(東宝、松竹、東映、大映、新東宝)は、協定を結んでいた。俳優とは専属契約を交わし、無断で他者作品に出演できないようにしていた。

同時に自社作品を公開する劇場とも契約を交わし、他社作品を公開しないように契約していた。

これらから、契約劇場には、作品を提供し続けなければならず、量産体制をとっていた。

これがプログラム・ピクチャーと呼ばれるシステムだった。毎週自社のスターを主演に使い2本の作品を提供し続けた。1958年には年間500本以上の作品が製作され、入場者数も11億人を超えていた。

量産による駄作も多かったが、抑えられた費用と撮影期間で、名作も数多く製作された。
それはプロフェッショナルの意地が輝いた作品といえるだろう。そこからカルト映画もたくさん誕生した。

しかしテレビが過程に浸透するとともに映画は衰退をたどった。



音楽 J-POPS 椎名林檎
ロックンロール、ブリティッシュサウンド、フォークなど、その時々にアメリカン・ミュージックが輸入され、また日本ナイズされてきた。

J-POPSの最初のヒーローは加山雄三だっただろう。英語が堪能で最初のアルバムは全曲英語で創って歌われいた。やがて日本語の歌詞がつけられ、大ヒットした。日本語で歌われた国産ポップスのはじまりだった。東京オリンピックの頃だ。


その後荒木一郎など多彩な才能がヒットチャートを飾ったが、そのほとんどは、それまでの音楽業界以外からのアプローチだった。



それらは日本の音楽会の基礎となった。やがてアメリカ留学をした竹内まりや など希有な才能が登場した。

以後、 ブランキー・ジェット・シティ、椎名林檎、多彩なジャパニーズ・ポップスが登場しているが、 常に日本語との戦いであるといえる。それゆえの楽しみでもある。

2014年11月9日日曜日

ロックが不良の音楽といわれ続けてきた時代



かってロックは不良の音楽といわれ続けてきた。

しかしキング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーなどのロックンロールは音はそれ以前の音に対して反抗的であっても、詩はそれ以前と変わらないものだった。





しかしローリング・ストーンズの「サティスファクション」などにより、明らかに詩そのものに変化が起こってきた。最初に国家と正面切って対立したのは、キース・リチャーズだった。

そしてアメリカでは、…………


ビートルズやローリング・ストーンズ、彼等イギリス勢の不敵な表情の隙間から発信するパワーに共感を覚えたアメリカ人には、物質主義に対するカウンター・カルチャーの旗手として受け入れられ、全米各地で熱狂的な支持を受ける。


65年にビートルズが外貨獲得の功績により女王陛下から勲章を受けたことで、ロンドンは若者王国として世界中に認知されることになる。しかし、モッズは体制派となったビートルズを軽蔑、さらにはアナーキーなローリング・ストーンズすらも無視するようになる。

軟派モッズからサイケが発信され、アメリカに上陸する。

サイケは音楽的にはLSDの快感を表現したものとなり、その作品はドアーズ、ジェファーソン・エアプレインに代表される。66年、アメリカ経済は下降しベトナム戦争への介入は泥沼化していく。


同年イギリスも15年間続いた経済成長は終わり、経済危機に陥る。ティーンエージャー市場は壊滅状態となり、失業者が溢れる永い冬の時代に突入する。

やがて、セックスピストルズ、クラッシュなどがパンクを引っさげて音楽市場に登場、女王陛下へのまなざしが物議となりロックは創作された不良性を取り戻す。






この年、エルヴィス・プレスリーは意欲的にゴスペルのアルバムを製作、神々しいまでに昇華されたパフォーマンスは彼のキャリアの中でも光り輝き、アルバムはグラミー賞を獲得する。



ザ・ビートルズも変貌する。


それまでとは趣向を変えた彼等の最高傑作アルバム「REVOLVER」が発表される。
「REVOLVER」が誕生する背景は偶然の積み重ねだと思う。


社会の変化、アジアツアーで得た東洋思想、ボブ・ディランやブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)の影響、女王陛下の勲章、複数の影響が交差し、彼等の才能が開花する。

そしてモノから精神へロックの重心は移動した。






2014年11月2日日曜日

女王陛下の国、階級社会のイギリス



さてイギリスを語る場合にはずせないのが「階級社会」というキーワード。

これは現代の日本人には理解できないのではないか?知識、理屈として知っても実感できない。

19世紀に産業革命を興した資本主義の先進国という点から観ても、進んでいるはずの国なのに?と不可解だ。
言ってるだけと違うのかと思うのも無理がない。イギリスの階級は上流(アッパー)、中産(ミドル)、労働者(ワーキング)さらに失業者などのアンダー層に大別できる。現代社会においてこのような区別が本当に存在しているのかというのは、実のところ不明なのだ。

しかし薄れる方向に向かっているもののクラスによって発音まで違うという厳然たる事実もある。

不透明感が拭えない一つの理由は厳然たる世襲制の貴族が存続しているからだろう。
また政治的にも労働者の権利を守るための労働党が存在しているのも大きな理由だ。
このような党があるのは、いまではイギリスと、イギリスの兄弟のようなオーストラリア、ニュージーランドだけだ。








オーストラリア、ニュージーランドの英語の発音はイギリスのワーキングクラスと同じだ。
日本人は大抵暮らし向きで判断するが、イギリスではそうではない。

収入は関係なく、職業による区別がなされている。
イギリスにおける労働者階級の出世の道というのは極めて狭い。
頼りになるのは仲間=「族」ということになる。

仲間の敵は同じ階級ではない、違う階級だ。
要するに根底から違う価値観のぶつかりであり 、違う価値観には排他的にならざるを得ない。

「土曜の夜と日曜の朝」「長距離ランナーの孤独」などに代表される「怒れる若者たち」というフレーズはイギリスのものだ。
















1979年から約12年、マーガレット・サッチャー女史が今世紀最長の連続で首相を務め、ぐらつく福祉国家を鉄の意志で救う。

イギリスが世界の経済に貢献するのはケインズ以来とも言われているが「サッチャリズム」で永い経済の混迷から脱出をする過程で、国有企業の民営化によるコストダウン、失業率はうなぎのぼりとなる。

一方、国営住宅の払い下げなど労働者階級を救う政策を展開する。結果的に労働者階級の意識が、それまでの「どうせどうにもならない」から「やればチャンスはあるんだ」というふうに意欲的な傾向に変化するが、10人にひとりが失業する事態を経験した労働者階級に属するロック野郎はサッチャーが嫌い(?)なせいか、音楽的にコンセプトの変化は起こっていない。








イギリスではロックは労働者階級の音楽である。ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンのようにその功績により、世襲できない一代貴族になる例もあるが、その大半は労働者階級出身だ。

レディオ・ヘッド、スーパーグラスあるいはピンク・フロイドなど中産階級(ミドルクラス)のロックバンドは少ない。


大学卒が全体の2割程度しかいないイギリスであるがゆえに、レディオ・ヘッドがオックスフォード卒という理由だけでの工業都市マンチェスター出身のオアシスなどから口撃されるのはそのためだ。

労働運動や自由貿易主義を展開していったマンチェスターのサッカー好きな人々はクリケットや乗馬を愛好するアッパーやミドル階級が嫌いなのだ。
イギリスが独特の過激なカルチャーを発信しているのは、このためだと言える。

アメリカの資本主義に蠢く人種差別とベトナム戦争、イギリスの階級区別や北アイルランド問題。ロックンロールの歴史は表向きの喧噪の裏で、時代、時代のもがきとともに育ってきた。
表現するものにとっても、表現されたものに触れるものにとっても同じだ。




毎年「エルヴィス国際会議」がミシシッピ大学で行われている。


エルヴィス・プレスリーとはアメリカにとって何だったのか?世界に何を与えたのか?その再研究がなされているが、ロックの思想を倫理感として生活する人たちが増える現在、もっとロックそのものの研究が広義に正しく掘り下げて行われる必要がある。








2014年10月16日木曜日

ロックンロール壊滅とモッズ族登場


1958年、日本で日劇カーニバルを震源地にロカビリー旋風が巻き起こる。

しかし時差なしに情報が入ってくる現代と違い、当時は2年くらいの時差があったようだ。

年間ヒットチャートの半分をエルヴィス・プレスリーのヒット曲がトップを占領していたのが1956年。

本国アメリカの58年には、 デビューから2年、人気絶頂にあったエルヴィス・プレスリーは、ファンの反対運動の甲斐もなく軍に召集され入隊、ドイツへ派遣されてしまう。

さらに エルヴィスの留守中、バディ・ホリーエディ・コクランジーン・ヴィンセントなどが事故死、ジェリー・リー・ルイスチャック・ベリーのスキャンダル、リトル・リチャードの引退。


一線を飾っていたロックン・ローラーが相次いで消え、変わってストレートなロックに変わって軽いポップスがヒット・チャートを塗りつぶすようになる。

ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、デル・シャノン。レイ・チャール、イギリスではクリフ・リチャードが変わって主役となり、メロディーラインの美しい、いわゆる60年代POPS全盛期に入る。

日本で最も愛されてきたPOPSはこの時代のものだ。本国では、すでにロックンロールは壊滅状態にあった。

1960年、エルヴィスが復帰。ブランクをモノともせず、人気の衰えもないままエルヴィスはより大きなシンガーへの転身がはじまる。
しかし、 のちにジョン・レノンは「僕はハート・ブレイク・ホテルによってロックに目覚めた。そのエルヴィスは軍隊に殺された」と言っている。



ロックンロ-ル1930年代からアメリカ文化を追いかけていたイギリスでは、アメリカのロックシンガーは大歓迎され、エルヴィスもアメリカ以上に絶大な支持を受けていた。

特に「怒れる若者たち」テッズ族(テディ・ボーイ)には熱狂的に支持された。

アメリカのロックンロール旋風と違い、人種差別主義のテッズ族は1956年には国内最大の暴動事件を起こしている。

革ジャン&ハーレーに乗った反抗する若者をテーマにした1954年製作のマーロン・ブランド主演の映画「乱暴者」がイギリスにおいては68年まで公開禁止されたことが、当時の若者の行動への危惧と狼狽を語っている。










1968年は「イージーライダー」が公開された年だ。
若者文化が労働者階級にまで浸透していなかった1963年に登場したザ・ビートルズはアバンギャルドにも支持された。

ピエール・カルダンを着用したアートスクール出身の彼等の音楽、ファッションによるインパクトは黒人のプレイするR&B、ホモセクシャルを裏から表にする役割を果たした。

同時にドラッグ、マリファナの使用を「あたりまえ」のように広めた。ビートルズやローリング・ストーンズの登場と成功はイギリスの民主化が進展したこと意味した。

テッズ族が時代遅れになり、変わって労働者階級から発生したロッカーと中産階級(ミドル)を中心としたモッズが台頭する。


モッズの典型的なスタイルカラフルでスエードブーツ、リーバイス、マドラスやストライプタイプチェックのジャケット、スクーターで、洗練され、消費主義に徹していた。音楽的にはR&B、ニューソウル、スカ、M.J.Qなどのトラッドジャズを好んでいた。

一方、黒で固めた野卑なロッカーは革ジャン、鉄鋲、リーバイスにバイク、ロックンロールを愛好。64年に両者の抗争が起こるが、これは階級闘争に根ざしたものだ。


2014年9月16日火曜日

僕の歌は君の歌/Your Song






名曲です。歌詞が分からなくても、胸の奥が痺れるような気分になります。
夜に朝に、世にも美しいラブソングです。


 僕の歌は君の歌/Your Song 

エルトン・ジョン(Sir Elton Hercules John CBE)は、1947年生まれのイギリスを代表するボーカリスト、作曲家、ピアニスト。

7枚連続の全米No.1アルバム、5つのグラミー賞、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、トニー賞を受賞。ロックシーンを代表する一人。

<僕の歌は君の歌>はバーニー・トーピンの歌詞にエルトンジョンが曲をつけ美しい歌が完成。1970年に発売されたアルバム『僕の歌は君の歌』に収録されました。






ちょっと、最近、おかしいんだ。胸の奥が痺れるような気分なんだ。
この気持ちを隠し続けるのは無理みたい。
ボクは一文無しだけど もし金があったら
家を買ってそこで きみと暮らしたい

彫刻家だったらと思うけど、それも無理さ
旅する薬売りなら何か喜ばせてあげられるかも
大した事はできないが
贈り物はボクの歌、この歌を贈りたい

誰に言ってもいいんだよ、この歌は君の歌、「私の歌よ」って。
とてもシンプルな歌だけど、もう完成してしまったんだ

君が気に入ってくれるといいな
気に入ってくれるといいな、この言葉も含めて。。。

「君がいる世界って、なんて素晴らしいんだ」



僕は屋根に座って、コケを払ってた。
二、三行、歌詞の気に入らないところがあるけれど、
この歌を書いている間、陽射しはずっと、穏やかだった。
君みたいに、僕をずっと照らしていてくれていた


あぁ、ごめん、何を言いたいか忘れたよ。
ほら、また忘れちゃったよ。
あれが緑色だったのか、青色だったのか、思い出せない。
そんなことはいいや、大事なのは僕の本心さ
君の瞳ほどに優しい眼差しは、僕は見たことがなかったよ。

誰に言ってもいいんだよ、この歌は君の歌、「私の歌よ」って。
とてもシンプルな歌だけど、もう完成してしまったんだ

君が気に入ってくれるといいな
気に入ってくれるといいな、この言葉も含めて。。。

「君がいる世界って、なんて素晴らしいんだ」


君が気に入ってくれるといいな
気に入ってくれるといいな、この言葉も含めて。。。


「君がいる世界って、なんて素晴らしいんだ」












2014年9月11日木曜日

貴方だけを愛して/I Never Loved A Man(The Way I Love You)




自分はアラバマに行ったことがあります。
その道中でアレサ・フランクリンが弾くピアノの音を思い出し、ドキドキしたことを思い出します。
貴方だけを愛して/I Never Loved A Man(The Way I Love You)>はアラバマ州の小さな街でアレサ・フランクリンは見知らぬミュージシャンたちと録音をしたことを思い出したからです。数週間後に離婚することになる夫も立ち会っていたのです。


♬ ノー、ノー、ノー、
決して、男を愛したことがない、あなたを愛したようには。
20世紀を代表するヴォーカルパフォーマンスのひとつ。

アレサの叫びは、この3分間のドラマにぎっしり詰め込まれた主人公だけの熱い人間的な感情を伝えてきます。

1967年2月リリースされた「アトランティック移籍第1弾アルバム」、新たな出発を祝うようにR&Bチャート1位となった世紀のバラード。<貴方だけを愛して/I Never Loved A Man(The Way I Love You)>
アレサ・フランクリンが吹き込んだ命は、♬ ノー、ノー、ノー、ひとつにまとまり、アレサはロックンロールの母の心を身にまとい、ソウルの女王になった。


そしてこのアルバムはソウル史上最高のアルバムになった。


これを聴かずしてソウルは語れない


あなたが真実を知りたいなら、
私は言おう。
いつまでもそれを話さないつもりよ。

アレサ自身が作者の気持ちを越えて、歌に意味と命を吹き込んだ。こめた女の痛みは理性では語れない。



<貴方だけを愛して/I Never Loved A Man(The Way I Love You)>は、アレサの代表曲であり、チャートナンバーワンにも輝いたソウル・ミュージックを象徴する名曲。

ルーツであるゴスペル色を明確に打ち出し、ブルージーでアーシーなソウルで時代を塗り替えた歴史的な名盤である。


最近ではAlicia Keys もカバーしている。



貴方だけを愛して
 /I Never Loved A Man(The Way I Love You)

You're no good, heartbreaker
You're a liar and you're a cheat
I don't know why I let you do these things to me
My friends keep telling me you're no good

But they don't know that I'd leave you if I could
I guess I'm uptight but I'm stuck like glue

Cause I never, I never,
I never, no no loved a man the way that i, I love you

Some time ago I thought you should run out of fools
But I was so wrong you've got one you'll never lose
The way you treat me is a shame,
How could you hurt me so bad? 

Baby you know that I'm the best thing that you ever had
Kiss me once again don't you never say that we're through

Cause I never, I never,
I never, no no, loved a man the way that I love you...

I can't sleep at night and I can't eat a bite
I guess I'll never be free since I've got your hooks in me
I never loved a man the way that I love you

You're no good, heartbreaker
You're a liar and you're a cheat
I don't know why I let you do these things to me
My friends keep telling me you're no good

But they don't know that I'd leave you if I could...
Kiss me once again don't you never say that we're through

Cause I never, I never,
I never, no no, loved a man the way that I love you...



2014年9月6日土曜日

Stand By Me /スタンド・バイ・ミー



Stand By Me /スタンド・バイ・ミー


♬ 夜が訪れ
あたりが闇に支配される時
月明かりしか見えなくたって
恐れることはないよ

君が暗闇の中に佇むことがあっても
怖がる必要なんてどこにもない

愛しい人よ
僕の側にいるなら
だから側にいておくれ
僕の隣に
離れず
ずっと近くにいて欲しいんだ

もしも、僕らの頭上に広がる空が
崩れ落ちてきたって
たとえ、そびえ立つ山が
崩れ海ができたとしても
泣いたりなんてしないさ
涙をこぼすことなんてないよ
君がその時ただ
僕の側にいてくれたら

離れないで
だから側にいて欲しいんだよ
たったいま僕の側に
隣にいて欲しいのは君なんだ
近くにいてくれないか
離れないで
ずっと側にいておくれ
いまこの瞬間
隣にいて欲しいのは
側にいて欲しいのは君なんだ

もし君がトラブルに巻き込まれたら
ただ僕の近くにくればいい
ずっと側に
いまこの瞬間
そばにいて支えてあげたいのは
近くで生きて行きたいのは君なんだ


作詞 B.King/J.Leiber and M.Stoller 
作曲 B.King/J.Leiber and M.Stoller
歌  BEN E.KING

J.Leiber and M.Stoller ロックンロールのゴールデンコンビ にB.Kingが加わった。

とても有名な曲で、映画にも使われ、映画のタイトルにもなった。
カバーするビッグアーティストの顔ぶれに、この曲の偉大さが伺える。それが災いして感動が薄れることもある。

しかし、ダーリン、じっくり耳を傾けておくれ
この歌が単なるラブソングでないことを確かめておくれ。

もしも、僕らの頭上に広がる空が
崩れ落ちてきたって
たとえ、そびえ立つ山が
崩れ海ができたとしても
泣いたりなんてしないさ



まるでモーゼの十戒のような重量感のある愛への導きと
ベン・E・キングの声ときたら、
これほどの人は滅多と此の世にいないと思わせる人間的な声に
誰もが勇気をもらえるはずだ。

そこで気がつく、あの少年達のドラマに、この曲が使われた理由が。
この曲はラブソングの形式をとっているが、実は聖書からの引用なのだ。

しかし、そんなことはいい。

If the sky that we look upon
Should tumble and fall
Or the mountain
Should crumble to the sea
I won't cry, I won't cry
No, I won't shed a tear
Just as long as you stand
stand by me


この言葉に集約されている心こそがこの曲なのだ。




When the night has come
And the land is dark
And the moon is the only light we see
No, I won't be afraid

Oh, I won't be afraid
Just as long as you stand
stand by me,
So, darling darling 
Stand by me
Oh stand by me
Oh stand 
Stand by me
Stand by me

If the sky that we look upon
Should tumble and fall
Or the mountain
Should crumble to the sea
I won't cry, I won't cry
No, I won't shed a tear
Just as long as you stand
stand by me

Darling darling 
Stand by me
Oh stand by me
Oh stand now
Stand by me
Stand by me..

Darling darling 
Stand by me
Oh stand by me
Oh stand now
Stand by me
Stand by me

Whenever you're in trouble
Won't you stand by me,
Oh stand by me
Oh stand now
Oh stand

Stand by me..



ダーリン、今宵、ベン・E・キングは、君のためだけに歌うよ♬








2014年8月21日木曜日

ホテル・カリフォルニア/Hotel California



ホテル・カリフォルニア/Hotel California
ホテル・カリフォルニア (Hotel California) は、アルバム『ホテル・カリフォルニア』に収録されているイーグルスの楽曲。

イーグルスを甲子園球場で見たような見ていないような曖昧だ。
しかしリンダ・ロンシュタットは記憶している。リンダ・ロンシュタットが大好きだった。そう、彼らイーグルスはリンダ・ロンシュタットのバックバンドだった。




リンダはヒット曲を連発したが、後になって「マイ・ボディガード」(デンゼル・ワシントン 、 ダコタ・ファニング 主演、 トニー・スコット 監督)の挿入曲にも使われた<Blue Bayou>は特に良い

さて、肝心のイーグルスは、<ホテル・カリフォルニア>しか記憶にないが、それにしても一度聴いたら永遠に残る、印象的なイントロのギター、哀愁漂うメロディが記憶に残る1976年作品。
ドン・フェルダー(作曲)ドン・ヘンリー(作詞)グレン・フライ(作詞のアイデア)の作品1970年代をアメリカを代表するロックのスタンダードナンバーのひとつだが、これをロックと呼ぶのかどうかについては異論がある、またこの曲がロックをダメにしたという意見も根強い。良くも悪くもインパクトのある楽曲であることに違いはない。



<ホテル・カリフォルニア>は架空のホテルを舞台にしている。少なくとも曲が発表された当時はなかったし、内容も創作だ。

エルヴィス・プレスリーのメジャーデビュー曲<ハートブレイク・ホテル>は現在グレイスランド(エルヴィス・プレスリー邸)の前に実在しているが、これはエルヴィスの死後、名前を変更したもので、曲が発表された時点でホテルは架空。曲の内容は現実を反映したものだ。

さて、<ホテル・カリフォルニア>は是非とも泊まってみたいと思う魅惑的なホテルだ。
それは砂漠にこっそりと佇んでいるような此の世のものとも思えないホテルだからだ。

<ホテル・カリフォルニア>に登場するコリタス(colitas) は、砂漠の花であるとともに、マリワナを意味している。比喩として使われているようだが、歌の解釈に広がりを持たせる役割を果たしていて、難解にしている。名曲<ムーンリバー>と同じですね。

考えすぎて分からなくなるより、シンプルに聴けばいいという意見もあるが、そうもいかない。それほど曲が出来すぎていて魅惑的なのだ。礼拝の鐘が鳴るホテル等ないが、<ホテル・カリフォルニア>にはそれがある。これが異次元への誘いを意味していて、嫌でも意味が知りたくなる。

<ハートブレイク・ホテル>もそうだったが、「失恋して死にたい」という若者をテーマにした曲だった。どうやらホテルは魂が人生の真実を求めてさまよう妖しいところのようだ。

On a dark desert highway,
Cool wind in my hair,
Warm smell of “colitas”
Rising up through the air,
Up ahead in the distance
I saw a shimmering light,
My head grew heavy and my sight grew dim,
I had to stop for the night.
There she stood in the doorway,
I heard the mission bell
And I was thinkin’ to myself :
“This could be heaven and this could be hell”
Then she lit up a candle,
And she showed me the way,
There were voices down the corridor,
I thought I heard them say
Welcome to the Hotel California,
Such a lovely place,
(Such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California,
Any time of year,
(Any time of year)
You can find it here
Her mind is Tiffany-twisted,
She got the Mercedes Bends,
She got a lot of pretty, pretty boys
she calls friends
How they dance in the courtyard,
Sweet summer sweat
Some dance to remember,
Some dance to forget
So I called up the Captain
“Please bring me my wine”
He said, “We haven’t had that spirit here
Since nineteen sixty-nine”
And still those voices are calling from far away,
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say:
Welcome to the Hotel California,
Such a lovely place,
(Such a lovely place)
Such a lovely face
They’re livin’ it up at the Hotel California,
What a nice surprise,
(What a nice surprise)
Bring your alibis
Mirrors on the ceiling,
The pink champagne on ice, and she said:
“We are all just prisoners here,
Of our own device”
And in the master’s chambers
They gathered for the feast,
They stabbed it with their steely knives,
But they just can’t kill the beast
Last thing I remember, I was running for the door,
I had to find the passage back to the place I was before,
“Relax,” said the night man, “We are programmed to receive,
You can check out anytime you like… but you can never leave”

私はボーイ長に注文した
「ワインを持ってきてください」
彼は言った
「私どもでは1969年後の魂を置いていないんです」と
彼らの声が遠くから聴こえる
あなたは夜中に目を覚ます
ほら聞こえるだろ、彼らが言っていることが。
ようこそホテルカリフォルニア
なんて愛しい場所
なんて愛しい場所
なんて愛しい顔
彼らはホテルカリフォルニアで生きていく
なんて素晴らしい驚き
なんて素晴らしい驚き
あなたのアリバイを持ってきてくださいな