1958年、日本で日劇カーニバルを震源地にロカビリー旋風が巻き起こる。
しかし時差なしに情報が入ってくる現代と違い、当時は2年くらいの時差があったようだ。
しかし時差なしに情報が入ってくる現代と違い、当時は2年くらいの時差があったようだ。
年間ヒットチャートの半分をエルヴィス・プレスリーのヒット曲がトップを占領していたのが1956年。
本国アメリカの58年には、 デビューから2年、人気絶頂にあったエルヴィス・プレスリーは、ファンの反対運動の甲斐もなく軍に召集され入隊、ドイツへ派遣されてしまう。
さらに エルヴィスの留守中、バディ・ホリー、エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセントなどが事故死、ジェリー・リー・ルイス、チャック・ベリーのスキャンダル、リトル・リチャードの引退。
ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、デル・シャノン。レイ・チャール、イギリスではクリフ・リチャードが変わって主役となり、メロディーラインの美しい、いわゆる60年代POPS全盛期に入る。
日本で最も愛されてきたPOPSはこの時代のものだ。本国では、すでにロックンロールは壊滅状態にあった。
1960年、エルヴィスが復帰。ブランクをモノともせず、人気の衰えもないままエルヴィスはより大きなシンガーへの転身がはじまる。
しかし、 のちにジョン・レノンは「僕はハート・ブレイク・ホテルによってロックに目覚めた。そのエルヴィスは軍隊に殺された」と言っている。
特に「怒れる若者たち」テッズ族(テディ・ボーイ)には熱狂的に支持された。
アメリカのロックンロール旋風と違い、人種差別主義のテッズ族は1956年には国内最大の暴動事件を起こしている。
革ジャン&ハーレーに乗った反抗する若者をテーマにした1954年製作のマーロン・ブランド主演の映画「乱暴者」がイギリスにおいては68年まで公開禁止されたことが、当時の若者の行動への危惧と狼狽を語っている。
1968年は「イージーライダー」が公開された年だ。
若者文化が労働者階級にまで浸透していなかった1963年に登場したザ・ビートルズはアバンギャルドにも支持された。
ピエール・カルダンを着用したアートスクール出身の彼等の音楽、ファッションによるインパクトは黒人のプレイするR&B、ホモセクシャルを裏から表にする役割を果たした。
同時にドラッグ、マリファナの使用を「あたりまえ」のように広めた。ビートルズやローリング・ストーンズの登場と成功はイギリスの民主化が進展したこと意味した。
テッズ族が時代遅れになり、変わって労働者階級から発生したロッカーと中産階級(ミドル)を中心としたモッズが台頭する。
モッズの典型的なスタイルはカラフルでスエードブーツ、リーバイス、マドラスやストライプタイプチェックのジャケット、スクーターで、洗練され、消費主義に徹していた。音楽的にはR&B、ニューソウル、スカ、M.J.Qなどのトラッドジャズを好んでいた。
一方、黒で固めた野卑なロッカーは革ジャン、鉄鋲、リーバイスにバイク、ロックンロールを愛好。64年に両者の抗争が起こるが、これは階級闘争に根ざしたものだ。