2015年11月10日火曜日

アイ・ウォーク・ザ・ライン~君につづく道 / ジョニー・キャッシュ

ジョニー・キャッシュ、クライ・クライ・クライ、アイ・ウォーク・ザ・ライン、ジューン・カーター、「メン・イン・ブラック」の愛称・・・・



アイ・ウォーク・ザ・ライン~君につづく道 
         / ジョニー・キャッシュ


ジョニー・キャッシュをご存知ですか?
特徴のある深いバス=バリトンの声の持ち主。
カントリー・ミュージックの殿堂、ロックの殿堂、ゴスペル・ミュージックの殿堂。3つの殿堂に入りを果たしたシンガーソングライター。

ジョニー・キャッシュを主人公にした伝記映画『ウォーク・ザ・ライン I Walk The Line~君につづく道』が2005年11月に公開されジューン役のリース・ウィザースプーンが主演女優賞を受賞した。

映画『ウォーク・ザ・ライン I Walk The Line~君につづく道』に好意的でない人も多い。その理由は「なんで?普通の出来栄えなのに。」というものだが、演技者の歌のうまさに脱帽する人は多い。



またジョニー・キャッシュのフアンは別として、つまり伝説のプロポーズにも嫌悪する人も多い。その前提にある破綻ぶりに純愛とは言い難い印象を受けるからだ。自分もそのひとりである。しかし人間とはそういうものかも知れない。と思うものの、ここまで依存せずに生きられなかった苦しみはどこで生まれたのかと考えてしまうのです。


1956年12月4日、サン・スタジオでとカール・パーキンスと、ジェリー・リー・ルイスが新曲のレコーディング中、すでにRCAレコードからデビュー、大ヒットを連発していたエルヴィス・プレスリーがサム・フィリップスに会いに来た。ちょうどジョニー・キャッシュもスタジオに居合わせたので、4人は即興のセッションで遊び始めた。これが後に「ミリオンダラー・カルテット」としてリリースされたアルバムの音源となった。

ジョニー・キャッシュはエルヴィス・プレスリーとほぼ同時期にサンスタジオからデビューした。エルヴィス・プレスリーはジョニー・キャッシュより3歳年下だが、キャッシュが契約をしたがっていた頃、サム・フィリップスはエルヴィス・プレスリーのプロデュースに熱中していた。

一方、ジョニー・キャッシュは、1955年6月下旬、サン・レコードからシングル<ヘイ・ポーター(Hey Porter)B面<Cry! Cry! Cry! >をリリースし「ジョニー・キャッシュとテネシー2」としてデビューした。

このシングルはビルボード誌全米カントリーチャート14位を記録するヒットになった。この時期がエルヴィス・プレスリーとジョニー・キャッシュが、サンが擁する同じレーベルのミュージシャンであった。またツアーコンサートで彼らは旅して歌った時期である。

しかし、サム・フィリップスは金と引き換えに稀代の才能<エルヴィス・プレスリー>をメジャーレーベルだった<RCAレコード>に手放した。彼に思い切った決断をさせたのは、エルヴィス・プレスリーを手放しても、サンにはまだ「ミリオンダラー」を現実にするアーティストに加え、ロイ・オービソンが残っている、その資金で事業の拡張ができると判断したからだ。

RCAに移籍したエルヴィス・プレスリーは1956年1月に、まず最初の曲<ハートブレイクホテル>で早々に全米レベルのスターになり、次々にミリオンダラーを連発してまたたく間にサブカルチャーを塗り替える。

1956年4月、シングル<アイ・ウォーク・ザ・ライン I Walk The Line>をサンスタジオからリリース。初の6週連続1位を獲得。ポップ・チャートでも20位にランクインし人気歌手の座を手に入れた。

1957年7月、ジョニー・キャッシュはサンからようやく念願のアルバムをリリースし、サンのヒットアルバムになったものの、サムはジョニー・キャッシュのゴスペルのレコーディングに熱心ではなく、ロックンロールに傾注していた。音楽性と金銭の問題からジョニー・キャッシュはコロムビア・レコードに移籍。シングル『Don't Take Your Guns to Town 』を発表し、大ヒットさせる。

1958年になると、エルヴィス・プレスリーの召集などロックンロールの世界に事件が相次いで起こり、驚異的な人気を誇った第一次ロンクンロール旋風は急速に下火になり、入隊したといえども唯一エルヴィス・プレスリーがその存在を輝かせていた。

一方、エルヴィス・プレスリーより遅れたデビューとなったジョニー・キャッシュは、ヒット曲を出すかたわら、アルコール依存症にはじまりあらゆる薬物中毒に陥っていたのと併せて不倫、浮気で私生活は破綻の一途をたどっていた。この悪化する一方の事態は映画『ウォーク・ザ・ライン I Walk The Line~君に続く道』で詳しく描かれている。



1960年、”フルーク"の愛称で親しまれるドラマーのW.S.ホランドがバンドに加入したことから、バンド名を「ジョニー・キャッシュとテネシー3」に変更する。

1965年のツアー中、麻薬をメキシコ国境からヘロインを密輸しようとした容疑でテキサス州エル・パソで逮捕された。しかしギター・ケースに隠した薬は合法的な処方箋に基づくものとして、執行猶予を受けるに止まった。

この時期、アルバム作りは意欲的だったが、相変わらずの破綻ぶりで離婚する。

1967年には、ジューン・カーターとのデュエット<Jackson >がグラミー賞を受賞、その一方でジョージア州ウォーカー郡で処方薬入りのバッグを所持した上で交通事故により逮捕された。さらに保安官を買収しようとして怒らせ、ジョージア州ラファイエットの刑務所で一夜を過ごすことになる。この事件で保安官から熱心な忠告を受け、ようやく人生を見直す機会を得て、更生を誓う。

しかし重い禁断症状に苦しみニッカジャック洞窟で自殺を企てる。この後も薬物の克服の葛藤は続く。やがて・・・・

1968年2月22日、オンタリオ州ロンドンにあるロンドン・ガーデンズでのコンサートで観客を前に演奏中にジューン・カーターに「君と結婚したい。いま返事してくれないとこれ以上歌えない」と半ば脅迫的に電撃プロポーズした。これが後世に語られる伝説のプロポーズである。

翌週3月1日、2人はケンタッキー州フランクリンで結婚した。長年、ジョニー・キャッシュの申し出を受け付けなかったジューンはキャッシュが全てを精算した上で結婚に同意した。

しかしジューンの妊娠中に彼女の姉妹とまたも浮気をしてしまう。やがて1970年、ジューン・カーターとの間に誕生した息子ジョン・カーター・キャッシュの誕生によって、15年に及ぶ薬物中毒から完全に克服する。しかし1977年、再度アンフェタミンに手を出してしまった。

1983年までにまた薬物中毒になり、リハビリのためカリフォルニア州ランチョ・ミラージュにあるベティ・フォード・クリニックに入院した。何年間かは薬物から遠ざかっていたが、1989年までにまた依存症になり、ナッシュビルのカンバーランド・ハイツに入院した。


1992年、最後のリハビリのためカリフォルニア州ロマ・リンダにあるロマ・リンダ行動医療センターに入院する。数ヵ月後、息子もこの施設に入院する羽目になる。

2003年5月15日、妻ジューン・カーター・キャッシュが73歳で死去した。ジューンは生前、キャッシュに仕事を続けるよう語ったため、キャッシュはレコーディングを続けてその後の4ヶ月間で60曲以上を完成させ、2003年9月12日午前2時頃、糖尿病による合併症で亡くなった。

ジューン・カーター・キャッシュ他界の痛みによる死亡と見られれいる。

つまりジョニー・キャッシュは愛する女性と音楽と薬物に生きた生来の依存症であったと考えられる。
テネシー州ヘンダーソンヴィルの自宅近くにあるヘンダーソンヴィル・メモリー・ガーデンズで妻の隣に埋葬された。

2003年7月5日、ジョニー・キャッシュは彼の最後のコンサートで<Ring of Fire >を歌う前に、亡き妻への思いを読み上げた。

今夜、彼女の私への愛と私の彼女への愛と共にジューン・カーターの魂が私を訪れる。私達はここと天国の間で繋がっている。今夜彼女は天国から少しの間訪れた。きっと私に彼女がいつも持ち合わせていた勇気と創造力を与えるために。

1944年5月、13歳の時に、仲良しだった兄ジャックとともに農作業中に農機具による事故が起こり兄は他界する。父親はジョニー・キャッシュに冷たく当たりこの事件で罪悪感に苛まれた。彼が父親から受けたメッセージに含まれた意味は「お前が死ねば良かった」というもので「生きるな」という禁止令だった。

『アイ・ウォーク・ザ・ライン I Walk The Line~君に続く道』の君とは、ジューン・カーターのことだと誰もが解釈するだろうが、自分には兄ジャックのようにしか思えない。

父親から受けた禁止令「生きるな」が彼を苦しめました。音楽の世界で成功しましたが、実際の彼は13歳で死んでいたのも同然で、セックスと薬物に支配され続けました。そして生きるために真実の愛を求め続けました。

禁止令と生への欲求・・・死にながら生き抜いた、無意識の葛藤に苦しんだ壮絶な生涯でした。



2015年11月2日月曜日

HELP!/ビートルズ














HELP!/ビートルズ

日本では1966年の正月映画として公開された、ビートルズ主演映画 第二作 HELP!のテーマ曲である「ヘルプ!」はジョン・レノン、ポール・マッカートニーの作品でジョン・レノンがリードボーカルを担当。

B面に映画と関係のないロックナンバー「アイム・ダウン」を収録して、英米ともにチャートの1位を獲得。米ビルボード誌では、1965年9月4日に週間ランキング第1位を獲得。イギリスでは90万枚以上、アメリカでは100万枚以上のミリオンセラーを記録した。




助けて
誰かが必要なんだ
誰でもいいわけじゃない
分かるだろう
誰かを必要としてるんだ
助けて

僕が若く
いまよりもっと若かったとき、
なにごとにも
誰かの助けを必要としなかった
でも、月日が流れたいまでは
楽天的というわけにはいかなくなった
いま、僕の考えが変わったと知って
扉を開いたのさ

できるなら助けておくれ
落ち込んでいるのだ
君がそばにいてくれることに
感謝してるんだ
助けて
僕を大地に立たせておくれ
ねえ、君
助けてくれないか


ジョン・レノンは実際に本気で「助けて!」と言ってたようだが、誰も本気で聴いてくれなかったと言ってる。
それなら聴いている自分も「助けて!」と叫んでいる。間違いなく。








ローリング・ストーン誌の選ぶオールタイムロックンロールで、26位にランキングされたポップな曲だ。難しい曲を選ぶと通のように思われるかして、あまり人気のない曲をランクングする輩もいるが、26位にランキングされたのはハッピーなことだ。とても軽快でカッコイイ曲だ。

この映画にはいい曲が多い。<涙の乗車券><アイ・ニード・ユー><イエスタデー>などクオリティーが高い。

だからといって、彼らが肩こりひとつ治してくれるわけではない。
頭がズキズキしているが、彼らは僕の存在すら知らない。
それでも、愛を信じるように、
信じないとやっていられないように、
このレコードは希望を感じさせてくれる。

いまに誰か助けに来てくれるかもしれないと。






助けて!




2015年9月11日金曜日

19回目の神経衰弱/ローリング・ストーンズ


19th Nervous Breakdown

19回目の神経衰弱




やってくる、やってくる、やってくる、やってくる
あんたの19回目の神経衰弱がやってくる、

Here it comes, here it comes, 
here it comes, here it comes
Here comes your nine-teenth nervous breakdown.

一度で脳裏に焼きつくフレーズが最高。作詞・作曲はミック・ジャガーおよびキース・リチャーズ
ローリング・ストーンズのシャッフル・ビートのハイテンポなロック・ナンバー『19回目の神経衰弱』は英米ともにヒットチャート2位にランキングされた。



録音は1965年12月、アルバム全曲がストーンズのオリジナル曲で埋め尽くされた初のオリジナルアルバム『アフターマス』セッションの中で行われた。

(1)マザーズ・リトル・ヘルパー
(2)ステュピッド・ガール
(3)レディ・ジェーン
(4)アンダー・マイ・サム
(5)邪魔をするなよ
(6)ゴーイン・ホーム
(7)フライト505
(8)ハイ・アンド・ドライ
(9)アウト・オヴ・タイム
(10)イッツ・ノット・イージー
(11)アイ・アム・ウェイティング
(12)テイク・イット・オア・リーヴ・イット
(13)シンク
(14)ホワット・トゥ・ドゥ

リリースは翌年1966年。アルバム『アフターマス』はイギリス1位、アメリカ2位になった。



しかし19回目の神経衰弱』はアフターマス』に収録されず、同じ1966年にストーンズ初のコンピレーション・アルバムビッグ・ヒッツ (ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス)』に収録、アメリカでは3月、イギリスでは11月に発売された。
  1. コンピレーションアルバム(compilation album)
    compilationとは編集の意味でもともと別のアルバムに入っていた曲などを、一定の意図に基づいて集めて作るアルバム。 あるミュージシャンの代表的な曲を集めたものや、あるジャンルのヒット曲集、特定のテーマや雰囲気を持った曲を集めたものなど。
    ビッグ・ヒッツ (ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス)』は、初期のシングル・ヒットを中心に収録したストーンズ初のベスト・アルバム(US編集)。
    「サティスファクション」「一人ぼっちの世界」「ハート・オブ・ストーン」など若きジャガー&リチャードの名曲や、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」(ギターで始まるヴァージョン)「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」など秀逸のカヴァー曲が収録されている。




『19回目の神経衰弱』は、爆発的なヒットとなった「サティスファクション」に続く世界的大ヒットとなった。さらに、この後、ブライアン・ジョーンズのシタール演奏がきらめく「黒くぬれ!」が続き、不動のモンスターロックバンドの地位を築いた。

ローリング・ストーンズは1962年4月のロンドンで、ブライアン・ジョーンズ(ギター、ハーモニカ)をリーダーに、イアン・スチュワート(ピアノ)、ミック・ジャガー(リードヴォーカル、ハーモニカ)、さらに、ミック・ジャガーの幼馴染キース・リチャーズ(ギター、ボーカル)を加えて結成した。その後間もなくベーシストのビル・ワイマンとドラマーのチャーリー・ワッツが参加した。シカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの"Rollin' Stone”にちなんで、当時リーダーであったブライアン・ジョーンズが思いつきで名付け親となった。

「19回目の神経衰弱」とは、アメリカでの長いコンサートツアーの意味だという。



『19回目の神経衰弱』

19th Nervous Breakdown
(Jagger/Richards)

The Rolling Stones


You're the kind of person 
You meet at certain dismal dull affairs.
Center of a crowd, talking much too loud 
Running up and down the stairs. 
Well, it seems to me that you have seen too much in too few years. 
And though you've tried you just can't hide 
Your eyes are edged with tears. 

You better stop
Look around 
Here it comes, here it comes, here it comes, here it comes
Here comes your nine-teenth nervous breakdown.

When you were a child 
You were treated kind 
But you were never brought up right.
You were always spoiled with a thousand toys 
But still you cried all night. 
Your mother who neglected you
Owes a million dollars tax. 
And your father's still perfecting ways of making ceiling wax. 

You better stop, look around 
Here it comes, here it comes, here it comes, here it comes 
Here comes your nilne-teenth nervous breakdown.

Oh, who's to blame, that girl's just insane.
Well nothing I do don't seem to work,
It only seems to make matters worse. Oh please.

You were still in school 
When you had that fool 
Who really messed your mind. 
And after that you turned your back 
On treating people kind. 
On our first trip
I tried so hard to rearrange your mind. 
But after while I realized you were disarranging mine.

You better stop, look around 
Here it comes, here it comes, here it comes, here it comes
Here comes your nine-teenth nervous breakdown.
Here comes your nine-teenth nervous breakdown 
Here comes your nine-teenth nervous breakdown 







2015年8月27日木曜日

AFTER THE GOLD RUSH /NEIL YOUNG

AFTER THE GOLD RUSH
NEIL YOUNG


戦いし者、汝の名はーーーー。
男の詩が聴こえてくる。


アフター・ザ・ゴールドラッシュは、
人生の大半の課題を歌って人の心に忍び込むアルバム。


力むことなく歌いかける。憂いを含んだ声を聴くと、「そうだよね。人生いろいろあるね。でも、いいことだってあるさ」と呟きながら、世界中で男が涙を流したアルバム。

アメリカの田舎のバーで男たちが立って飲む前に、マイクを持った男が現れて、カラオケで気持ちを込めて歌う。気持ちは演歌そのもの。

別れ際に「ありがとうミスター、その笑顔を忘れないで」と握手と拍手。
肌の色が違っても、流れてる気持ちは同じ。
そんなとき、このアルバムはドンピシャでハマります。

何度聴いたかわからないと言う人が多いでしょう。





母なる自然をごらん。<アフター・ザ・ゴールドラッシュ>

そうさ、君の心を引き避けるのは愛だけだ。<オンリー・ラブ


アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ(After the Gold Rush)には、次の曲が収録されています。
ニール・ヤング1970年に発表した3作目のソロ・アルバムです。

1. テル・ミー・ホワイ
2. アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ
3. オンリー・ラヴ
4. サザン・マン
5. やがて朝が…
6. オー・ロンサム・ミー 
7. ブリング・ユー・ダウン
8. バーズ
9. アイ・キャン・リアリー・ラヴ
10. アイ・ビリーヴ・イン・ユー
11. 壊れた渡し船

ローリング・ストーン』誌が選んだ「オールタイム・ベスト・アルバム500」では、74位にランキングされている名盤です。

ニール・ヤングはバンクーバーオリンピックの閉会式では、カナダ代表のミュージシャンとして登場、喝采を浴びました。

余談ですが
「私はこれまで毎日列に並んでラテを買ってきたが、昨日が最後になった」とスターバックス不買宣言をしました。その理由はスターバックスが遺伝子組み換え食材の表示を拒否した結果になったからです。

アメリカでは遺伝子組み換え産業が巨大な力で米国政府に圧力をかけていることもあり、遺伝子組み換え食品の表示が義務付けられていないため、アメリカの消費者はこれまで選ぶ権利がなかった。これに対しアメリカの消費者の間でも、遺伝子組み換え食品に表示を求める声は年々高まり、2014年に入ってからは、大きな問題になっていました。

バーモンド州は、「遺伝子組み換え食材の使用の有無」を記す制度を条例化しました。

これに対して、アメリカのバイオ化学メーカー・モンサントが訴訟を起こしました。このモンサントの訴訟にスターバックスが加わっていることに対し失望。

ニール・ヤング自身、スターバックスの経営方針に共感を持っていました。
「スターバックスはこれまでLGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)や労働条件について進歩的であった」を高く評価をしていたので、だからこそ「最たる悪党であるモンサントと組んでいることに失望した」としてニール・ヤングは不買宣言をしたのです。
ただし、これはアメリカでの話で日本ではどうか定かではありません。

2015年8月23日日曜日

マジカル・ミステリー・ツアー / ビートルズ



マジカル・ミステリー・ツアー 
/ ビートルズ


マジカル・ミステリー・ツアー/Magical Mystery Tour』はビートルズの失敗作として有名であり、ビートルズを知る上で貴重な作品である。

1967年8月27日にマネージャーのブライアン・エプスタインが薬物の過剰摂取によって急死。
ここまでグループを束ね引率してきたまとめ役がいなくなったことに危機感を抱いたポール・マッカートニーが中心になって初めて自分たちで取り組んだプロジェクト。

マジカル・ミステリー・ツアー』のコンセプトは、ビートルズと愉快な仲間たちが観光バスに乗り込んで予測できない「マジカル」な冒険の旅を楽しむというコンセプトで制作された。



しかし、なにぶんにもブライアン・エプスタインが関わらない作品である。まとめ役のいないアナーキーなプロセスで制作された映画は「マジカル」なことが起こらないまま終了する展開となり、評論家からも不安からも悪評しか得なかった。

1967年にイギリスでBBC oneが放送したが非難され、アメリカではABCが放送中止。結局1976年に深夜枠での放送にとどまった。

しかしサウンドトラック盤は好評を博し、ヒットチャート最高位2位まで昇りつめた。このときの1位は<ハロー・グッドバイ>

アメリカでリリースされた「サウンドトラックアルバム」はA面に全6曲を収録。B面にアルバムに収録されていないシングル曲5曲を収録してリリース。イギリスではA面のみをEP盤でリリースされた。

マジカル・ミステリー・ツアーの歌詞 

現在のCD盤はアメリカ盤を使っている。

しかし、この混乱期に作られたアルバムをビートルズの作品として「名盤」と認識している人は少ないでしょう。なんとなくスッキリしないイメージがします。



アナログA面

1 マジカル・ミステリー・ツアー
      - Magical Mystery Tour

2 フール・オン・ザ・ヒル
     - The Fool On The Hill

3 フライング - Flying

4 ブルー・ジェイ・ウェイ
      - Blue Jay Way (Harrison)

5 ユア・マザー・シュッド・ノウ
      - Your Mother Should Know

6 アイ・アム・ザ・ウォルラス
      - I Am The Walrus ("No You're Not!" said Little Nicola)

アナログB面

1 ハロー・グッドバイ - Hello Goodbye

2 ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
      - Strawberry Fields Forever

3 ペニー・レイン - Penny Lane

4 ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン
      - Baby You're A Rich Man



5 愛こそはすべて
      - All You Need Is Love


2015年5月22日金曜日

I Can't Explain /アイ・キャント・エクスプレイン




アイ・キャント・エクスプレイン / THE WHO


「けいおん」にでてきたおかげで知らない世代もTHE WHOを知った。

THE WHO が1964年にアメリカでシングルリリースしたアイ・キャント・エクスプレイン/
I Can't Explain

意味は「説明できない」

説明できないことをすでに知っているのは幸福だ。

感じることができるって素晴らしい。

いつの間にか歌詞が曲やパフォーンマンス以上に重みを持った。
それは人間にとって幸福なことではない。

ポエムがポエムでなくなり、ロックがロックでなくなった日が来る前に、


アイ・キャント・エクスプレイン>は2分5秒で伝えたいことを伝えた。

伝えたいことがある人間は強い。

ボブ・ディランが<ライク・ア・ローリングストーン>で6分も必要とする以前の数か月前のことだ。

自分の成長を知りたい人に、ボブ・ディランは目安になった。

THE WHO は<アイ・キャント・エクスプレイン>で歌い終わった後に、完璧で甘美なギターソロで混沌を伝えた。混沌のなかにありながら思うことの能力を肌で知ることができる人間だけに伝えることができた。

Billboard Hot 100でもチャート・インを果たしたものの、最高93位に終わっている(イギリスでは8位にチャートインした)