2012年12月16日日曜日

サーフィン・U.S.A./ビーチ・ボーイズ



Surfin' USA/The Beach boys

青い海、ビキニの女の子、サーフィン、ホットロッド(車)など、明るく陽気なアメリカ西海岸の若者文化をテーマに1961年に結成されたロックバンド、ビーチ・ボーイズは、チャックベリーの<スウィート・リトル・シックスティーン>をベースにした<サーフィン・U.S.A.>でヒットチャートに登場した。ビーチ・ボーイズの最初の大ヒット曲となり、チャート最高位は2位、ミリオンセラーになりゴールデンレコードを獲得した。

ブライアン・ウィルソン(ボーカル、キーボード、ベース
デニス・ウィルソン(ボーカル、ドラムス、キーボード)
カール・ウィルソン(ギター、ボーカル、キーボード、ベース)
のウィルソン兄弟が
いとこのマイク・ラヴ(ボーカル)
高校の友人アル・ジャーディン(ボーカル、ギター、ベース)と共に1961に結成したバンド。一時期デヴィッド・マークスがアル・ジャーディンに代わってボーカルを務めた。


サーフィンを通じて知り合った、当時まだプロでなかったザ・ウォーカー・ブラザース(孤独の太陽)のジョン・ウォーカーからギターを習ったことから始まる。

<サーフィン・U.S.A.>は、ベースというより<スウィート・リトル・シックスティーン>の模擬そのものだが、キャリアを重ねる内に、ブライアン・ウィルソンは才能を開花させ、また時代そのものが大きな変化を迎え、やがてロック史上、最高傑作と言われる「ペット・サウンズ」に結実する。

もし、「ペット・サウンズ」が世に出なければビートルズのキャリアも変わっていただろう。ビートルズの名声を決定づけたアルバムは、「ペット・サウンズ」によるカルチャーショックから生まれたと言ってもいいからだ。

健康や鍛えられた身体が崇拝されるのが、カリフォルニア文化であり、ボディ・カルト中心の文化だ。アウトドア、フィットネス、ダイエット、美容はここが発祥の地と言ってもよく、カリフォルニアは夢の工場なのだ。ここにはその象徴的な世界最大の虚飾の街「ハリウッド」がある。

そして世界にバラまかれるハリウッド映画を通して人々は、世界はカリフォルニア文化に憧れた。ビーチ・ボーイズは60年代前半のロックシーンでその先頭に立っていた。それはキング・オブ・ロックンロールと呼ばれたエルヴィス・プレスリーの音楽が陽気さのなかに複合的な翳りを秘めているのとは、逆の現象だった。

ビーチ・ボーイスがデビューで、選んだチャック・ベリーの<スウィート・リトル・シックスティーン>を聴けば分かるが、これは白人カルチャーの歌だ。人種差別が止まらなかった時代に黒人ミュージシャン、チャックベリーが本気で<スウィート・リトル・シックスティーン>を歌っていないことは明白だ。

そもそもティーンエイジャーという言葉はマーケティング用語だった。ジョン・レノンが「エルヴィス以前にはなにもなかった」というように、ティーンエイジャー文化など存在していなかったのだ。

そこに登場したのが映画「理由なき反抗」の「ジェームス・ディーン」だ。エルヴィス自身以前の音楽の世界に若者文化がなかった。その開拓の当事者であるエルヴィスがミュージシャンより、 ジェームス・ディーン やトニー・カーティスらに憧れ、自身も映画スターに夢を抱いたは当然だったかも知れない。まだテレビは映画を食うほどのビジネスでもなくこの時期に長期の映画契約を結んだのも当時としては無理のない話だろう。

しかし、当事者が流行を不安視する一方で、ティーンエイジャーは着実に大きなマーケットに育ちつつあり、もはや後戻りできない状態に合った。なにもなかった所にマーケットが用意されたことで、ティーンエイジャー文化は爆発した。ビジネスになると踏んだ大人たちによって低予算のサーフィン映画が大量に制作され、サーフィンブームが湧き上り、スポーツを越えて複合的なカルチャーに変貌した。

このブームのきっかけは一本の映画から始まった。1956年、エルヴィス登場で若者とロックンロールが騒然とした年に書かれた小説を原作した1959年の映画「ギジェット」だ。「 ギジェット」は作者の娘の実体験をもとに書かれた小説で、映画ではジェームス・ダーレンとサンドラ・ディーが主演。絵に描いたような幸福な中流家庭の娘を主人公にしたラブロマンスをサーフィンでフィルターにかけたボディカルチャーを描いたこの映画の大ヒットで実際に若者がサンタモニカなどビーチに押し寄せ、サーフボードの店は大儲けした。

ビーチ・ボーイズはその線上に登場、カリフォルニアのボディ・カルトを題材に次々と作品を生み出し大量のフォロワーも続いた。ケネディ大統領、キング牧師の暗殺、やがて陽気なアメリカに暗い影を落とし始めた時、霧と雨のイギリスの翳りのあるカルチャーを持ち込んだのがビートルズを筆頭としたリバプール勢である。 陽気なアメリカ人には、新鮮だった。

さらに社会は動く。ベトナム戦争が始まり、陽気なアメリカは生活シーンから消えていった。一方でドラッグ、ポルノが解禁されフリーセックスが日常に入り込み出した。こうなるとフィルターのかかったボディ・カルトの存在感は弱まりヒッピー文化が存在感を強めた。ビートルズがポップ市場で主導権を握ったのは時代が背中を押したといえる。

この雰囲気を伝えているのが、サーフィン映画の傑作「ビッグ・ウェンズデー」だ。あの重く苦しい映画「ディア・ハンター」の下敷きかと思うような内容に、いかにアメリカに重苦しい雰囲気が漂っていたか感じとることができる。

しかしブライアン・ウィルソンは、変わりゆくカリフォルニアの空気を正確に吸いとった「ペット・サウンズ」を発表し、音楽まで変えたのだ。軽快な<サーフィン・U.S.A.>から複雑で緻密な「ペット・サウンズ」へ、そしてブライアン自身が精神のバランスを崩し、日の目を見ることがなかった「スマイル」へと、ブライアン・ウィルソンの才能は誰も真似の出来ない孤高の境地へ達していった。



「神のみぞ知る」のベース音、「グッド・ヴァイブレーション」でのテルミンの導入、「キャロライン・ノー」の犬の鳴き声や列車の踏み切り通過音、「カリフォルニア・ガールズ」のイントロなど、ブライアンが敬愛したフィル・スペクターの影響は明らかだが、どれもブライアンの才能で結実であり、やがてビートルズはフィル・スペクターの手を借りて最後のアルバムを完成に漕ぎ着けている。

畏敬の念を表し、多くの伝説的なミュージシャンらが「ペット・サウンズ」を史上最高のロックアルバムと評するようになった。




2012年12月8日土曜日

サティスファクション/ローリング・ストーンズ

Satisfaction Rolling Stones 

三、四千年前の人間の祖先のことを思い出してみろよ。
骨を見つけ、それを岩の上で打ち砕いた男------。
彼は満月を見上げる。
大声で吠えた。
それが音楽の起源。
----それこそがロックンロールだ。
キース・リチャーズ

ロックバンドは星の数ほどあるが、泣く子も黙る最高・最強ロックバンドといえばローリング・ストーンズ(The Rolling Stonesに止めをさす。そういうと、ストーンズ特有の一つの音楽形態にこだわり続け、年長者バンドらしく同じタイプの演奏を頑なに続けていると思い込んでいる人も多いだろうが、そうはいかない。

ローリング・ストーンズは、その名の通り転がる石のように、デビュー以来、30年以上も、先人への畏敬の念を片時も忘れることなく、いまの空気と確実にシンクロして常に最先端の音楽を、第一線に立ち続けて送り込んでくる偉大すぎるバンドだ。これほどのバンドは他にいない。

ロンドンのR&B シーンから、チャック・ベリーのカヴァー曲「カム・オン」でデビューしたのが1963年6月こと。バンド名はシカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの名曲"Rollin' Stone"にちなんで、当時リーダーであったブライアン・ジョーンズが命名した。その名の通り彼らはシカゴ・ブルースやR&B を深く愛しており、初期の頃はシカゴ・ブルースやR&B のカヴァーを多くこなした。
やがて、その中からインスピレーションを得て、自分たちのオリシナルなサウンドを徐々に磨きをかけ構築していく。R&Bの先人をリーダーにしていた彼らこそニューリーダーとして存在感を強くしていく。

ミック・ジャガー&リチャーズ・キースが曲作りを始めてからは、先人の音楽をベースにしながらも、独自の個性を発揮。数多くのヒット曲を連発。特に60年代はブライアン・ジョーンズが多才ぶりを発揮して音楽的な側面を支えた。

よくライバルにビートルズを引き合いに出されたが、その音楽は本質的に違っていた。「アングロ・サクソン的」なビートルズとは比較にならないブラッキーで重いサウンドは黒人音楽にルーツをもつ伝統と「白人なのに黒人のように歌える」エルビス・プレスリーのロックンロールの創造を基礎にしながらも、それらを越えるかのように研ぎ澄まされた「黒人のようにR&Bを歌う」音楽は唯一無二にして強烈である。

エルヴィス・プレスリーの活躍がビートルズ、ローリング・ストーンズを生んだのと同じく、あらゆる黒人音楽を吸収し創造したローリング・ストーンズの活躍は、米英で白人R&Bバンドが多数登場するきっかけとなった。


エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、バディ・ホリー、リトル・リチャード、そういう男たちがオレを駆り立てたんだ。
キース・リチャーズ


全世界でのアルバム総売り上げは、2億枚以上である。 代表曲になるヒット曲は数多く「ひとりぼっちの世界」「19回目の神経衰弱」「サティスファクション」「黒くぬれ」「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」「ルビー・チューズデイ」「悪魔を憐れむ歌」「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」「ホンキー・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」「ダイスを転がせ」「悲しみのアンジー」「ミス・ユー」「スタート・ミー・アップ」などがある。

(以上、文章は「メインストリートのならず者」http://aip100.blogspot.jp/2011/07/rolling-stones.htmlを引用しています)

Satisfaction 
ストーンズにとって初のミリオンセラーシングルとなった1965年全米のシングルチャートで4週連続No.1となったメガヒット曲。イギリスでもチャート1位を獲得した。ビルボード誌の1965年年間ランキングでは3位となった。ストーンズとしては、ルービー・チュースデー、ホンキー・トンク・ウィメン、アンジー、ミス・ユーもミリオンセラーを記録している。全世界での売り上げは500万枚と言われている。


ブライアン・ジョーンズ(Louis Brian Hopkin Jones、1942年 - 1969年)
レコードデビュー時から在籍で、バンドの初代リーダー。
担当:ギター、ハーモニカ(他にダルシマー、マリンバ、シタールなど多くの楽器を演奏。一部の曲でバッキング・ボーカル)。
1969年に急逝。死因は不明。自殺説。事故説、他殺説がある。

ミック・ジャガー(Sir Michael Phillip Jagger、1943年~ )
レコードデビュー時から在籍、ブライアンの死後、2代目のリーダーとしてボ・ディドリーに任命された。2003年12月12日、英国においてナイトの称号を授与された。
担当:リードボーカル、ハーモニカ(曲によってギター、キーボードなどを担当することもある)。

キース・リチャーズ(Keith Richards、1943年~ )
レコードデビュー時から在籍。ミックと共にバンドの2大看板。
担当:ギター、バッキング・ボーカル(一部の曲でベースギター、リードボーカルを担当)。

チャーリー・ワッツ(Charles Robert Watts、1941年~)
レコードデビュー時から在籍。メンバーの中で、唯一初婚を貫いている。
担当:ドラムス。デビュー前から、ジャズ・ドラマーのキャリアがある。

ビル・ワイマン(Williams Parks、1936年~ )
レコードデビュー時から在籍。1991年脱退。脱退後のベースギターは、ダリル・ジョーンズがサポート・メンバーとして担当している。
担当:ベースギター("In Another Land" 1曲のみリードボーカル)。


ミック・テイラー(Michael Kevin Taylor、1948年~ )
1969年、ブライアン・ジョーンズの後任として加入するが、1974年脱退。
担当:ギター(一部の曲でベースギター)。

ロン・ウッド(Ronald David Wood、1947年~ )
1975年、ミック・テイラーの後任として加入した。
1968年から1969年にかけては、ベーシストとしてジェフ・ベックのアルバムとツアーに参加していた。その後、フェイセズでギターを担当していたが、フェイセズが解散したことでジェフ・ベックの推薦でストーンズに加入した。1993年に契約書上で正式メンバーになった。1975年、ミック・テイラーの後任にジェフ・ベック自身が誘われたが、それを拒否ロン・ウッドをベックが推薦した。
担当:ギター、バッキング・ボーカル(一部の曲でベースギター他)。

大体、誰も彼もがいつも、俺たちに《しわくちゃロッカー》だとかいろんな難癖をっけてくるわけだしさ。
『一体、じいさんたちはなにをやらかすっもりだ』っていうね。
だから、俺は言わせてもらいたいよ。
デューク・エリントンを見てみろってんだ。
わかるかい?
年齢なんざ関係ねえんだ。
それなのに、毎年毎年『ストーンズはまだ本当にやれるのか?』って話になるわけだ。
はっきり言わせてもらえば、やれるかやれないかくらいはてめえで一番わかってるってことだよ。



キース・リチャーズ

50周年を記念して最強ベスト盤がリリースされました。こちら


2012年1月7日土曜日

見つめていたい/The Police



Every Breath You Take/The Police

スピーカーを窓際に置いて、IPoneあるいはIpodをつないで、古い曲をならしてみよう。
お気に入りの曲が北風の吹く日当りいい通りに響くのを聴くのは素敵なことだ。

テネシー州、メンフィス。エルヴィス・プレスリー通りには、プレスリーの声が天空から舞い降りてくる。そこまでしないにしても、風が♪を運ぶのは気持ちのいいことだ。

懐かしいメロディに耳を傾けてみよう。
昔聴いた、思い出いっぱいの歌。

大好きだった人や、みどりと土のグラウンドを思い出させる、歌の数々。

グレン・ミラーだろうと、 シナトラだろうと、ビートルズだろうと、アバだろうと、ポリスだろうと・・・・・
そこには思い出がたくさん詰まっている。 

古いアルバムをめくってみよう。
古いレコードをかけてみよう。

ノイズまじりの音が、時聞を忘れさせ、心配ごとや悲しい気持ちを消し去ってくれる。 
古い歌は、われわれを時空を超えたうれしい時間のまっただ中に引き戻してくれる。

仕事をしているときと、思い出にふけっているときでは、心のリズムが違う。

懐かしい思い出のリズムは、心を落ちつかせてくれる。

北風にも平気だった子供時分に好きだった遊びを思い出させてくれる。


コンセプトアルバムよりも、45回転のレコードでリリースされた曲が好きだ。
スティーブ・ジョブズ氏が”iTunes”の命運をかけてU2と渉り合ったように、ドーナツ盤・・・・なんと素敵な響きだ・・いまも昔もシングルこそが王道だ。 
ジョブズ氏はそこに引き戻してくれた。


彼の思いについていき、古い45回転のレコード引っぱり出してみよう。 
あるいは失ったドーナツ盤をダウンロードしてみよう。
そんなふうに午後のひとときを過ごすのも素敵なことだ。 



ロックにレゲエの要素を含めたサウンドが人気を集めたのは、70年代後半から80年前半のことだ。

主にイギリスのパンク・ムーヴメントで起こった。
三人で組んだバンド、ポリス (The Police) は、そのまっただ中でデビューし、 ホワイト・レゲエの雄として人気を集めた。

スティング (Sting)・・・ ベース、リード・ヴォーカル、キーボード、ピアノ、シンセサイザー、ギター


スチュアート・コープランド (Stewart Copeland) ・・・ドラムス、バッキング・ヴォーカル、ギター、キーボード


アンディ・サマーズ (Andy Summers) ・・・ギター、バッキング・ヴォーカル、ベース、キーボード 

ポリスは1977年に結成された。

1978年に『アウトランドス・ダムール』でアルバムデビュー。
1979年には有名なアルバム『白いレガッタ』に収録されたシングル「孤独のメッセージ/Message in a bottle」が大ヒットした。記憶している人も多いだろう。

「高校教師/Don't Stand So Close to Me」 (1980年)、「マジック/Every Little Thing She Does Is Magic」 (1981年)などシングル盤がヒットを重ねた。

1980年に初来日。京都大学西部講堂のライブでは、商業化するコンサートに反発した自治会学生の乱入騒ぎが勃発、スティングに沈静化された伝説はユニークだ。 

そして時は、1983年。
5枚目のアルバム『シンクロニシティー/Synchronicity』 をリリース、ビルボード誌アルバムチャート17週連続1位の大ヒットを記録した。

このアルバムにはビルボード誌シングルチャート8週連続1位を記録した「 見つめていたい/Every Breath You Take」 が収録されていた。

「 見つめていたい」は、この年の年間1位の座も獲得した。

 しかしその翌年、絶頂期に活動を停止してしまう。
その後1986年に再結集してシングル「高校教師'86」を発表したが、結局、それぞれソロの道を歩む。ポリスとしての活動は停止された。

 2003年に、ロックの殿堂入り・・・・

彼らは殿堂入りしたが、ボクは殿堂入りなんかできない。
いまでも、君を見つめている・・・・

 

Every breath you take
And every move you make 

Every bond you break, 

Every step you take 

I'll be watchin' you ・・・・・


君が息するごとに

君が動くごとに

君が絆を断つごとに 

君が歩くごとに

君を見つめているボク・・・・・・・ 
 

シンクロニシティを感じながら、聴いている「 見つめていたい」
どんなものだ、それも素敵だろう?
ノイズまじりの音が、時聞を忘れさせるほど、君を思い出させるんだ。