2010年5月4日火曜日
メンフィス・テネシー/チャック・ベリー
メンフィス・テネシー/チャック・ベリー
はっきりしていることがある。<メンフィス・テネシー>は人間の歌だということだ。
<メンフィス・テネシー>は、1958年にリリースされた。チャック・ベリーは離婚していなかったし、メンフィスに住んでもいなかったが、<メンフィス・テネシー>はマリーという娘への感情をドラマティックに語っていた。
チャック・ベリーは 1926年10月18日、ミズリー州セントルイスで誕生した。
ビートルズが60年代に<ロール・オーヴァー・ベートーベン><ロックン・ロール・ミュージック>をカヴァーしたことで広く認知された。少なくともボクはそれで知った。
1986年にロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)入りした理由でも分かるように、チャック・ベリーは、もっとも早く来たロックンローラーだった。そしてもっとも遅れて来たロックンローラーだった。甘美な声と「メンフィス・ビート」と呼ばれるスライドギターが特長的だ。
無名だったエルヴィス・プレスリーがドザ回りをしていたとき、チャックベリーの<メブリーン>を歌っている。そして1956年にエルヴィスによってロックンロールの扉が開かれたが、1958年、エルヴィスは軍隊に召集。リトル・リチャードは引退した。1959年にはチャック・ベリーが姿を消し、バディ・ホリーの飛行機事故死(1959年)、エディ・コクラン(1960年)交通事故死とジーン・ヴィンセント(1960年)交通事故と不幸が相次いだ。
1959年、チャック・ベリーは刑務所に入っていた。スキャンダラスな事件で収監されていた。
こうして先駆者たちが一線から消えた後、60年代になると、ロックンロールを教わったこどもたちが一斉攻撃をかけはじめた。ビーチボーイズが、チャック・ベリーのイントロをそのまま使って<FUN FUN FUN>でやって来た。イギリスではビートルズが<ロール・オーヴァー・ベートーベン>をアルバムに入れてメジャーデビューした。
<FUN FUN FUN>も<ロール・オーヴァー・ベートーベン>もカッコよかった。ロックンロール第2世代のブームに乗って・・・チャック・ベリーはダック・ウォークで戻って来た。
1964年に<メンフィス・テネシー>は<Little Marie>に改題して再販、大ヒットした。みんながかってのロックンロール・ヒーローのダック・ウォークを真似した。
65年には、ジョニー・リバースが<メンフィス>のタイトルでヒットさせ日本でもチャートインした。
(エルヴィスプレスリーがカバーしたメンフィステネシー)
マリーという娘と父の別離を歌っていたが、チャック・ベリーはメンフィスに住んだことはなかった。ロックンローラーにしてメンフィス・テネシーをこよなく愛する住人、エルヴィス・プレスリーがこの切ない物語を歌わないわけはないと思われていた。エルヴィスは1963年5月27日にレコーディングしているが、64年1月12日に再度レコーディングした。そのバージョンが1965年7月にアルバムに収録されてリリースされた。
マリーへの伝言を受け取ったおじさんは壁に書きなぐっている。キュンキュンと胸の痛みがギターから聴こえてくる。
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