さてイギリスを語る場合にはずせないのが「階級社会」というキーワード。
これは現代の日本人には理解できないのではないか?知識、理屈として知っても実感できない。
19世紀に産業革命を興した資本主義の先進国という点から観ても、進んでいるはずの国なのに?と不可解だ。
言ってるだけと違うのかと思うのも無理がない。イギリスの階級は上流(アッパー)、中産(ミドル)、労働者(ワーキング)さらに失業者などのアンダー層に大別できる。現代社会においてこのような区別が本当に存在しているのかというのは、実のところ不明なのだ。
しかし薄れる方向に向かっているもののクラスによって発音まで違うという厳然たる事実もある。
不透明感が拭えない一つの理由は厳然たる世襲制の貴族が存続しているからだろう。
また政治的にも労働者の権利を守るための労働党が存在しているのも大きな理由だ。
このような党があるのは、いまではイギリスと、イギリスの兄弟のようなオーストラリア、ニュージーランドだけだ。
オーストラリア、ニュージーランドの英語の発音はイギリスのワーキングクラスと同じだ。
日本人は大抵暮らし向きで判断するが、イギリスではそうではない。
収入は関係なく、職業による区別がなされている。
イギリスにおける労働者階級の出世の道というのは極めて狭い。
頼りになるのは仲間=「族」ということになる。
仲間の敵は同じ階級ではない、違う階級だ。
要するに根底から違う価値観のぶつかりであり 、違う価値観には排他的にならざるを得ない。
「土曜の夜と日曜の朝」「長距離ランナーの孤独」などに代表される「怒れる若者たち」というフレーズはイギリスのものだ。
1979年から約12年、マーガレット・サッチャー女史が今世紀最長の連続で首相を務め、ぐらつく福祉国家を鉄の意志で救う。
イギリスが世界の経済に貢献するのはケインズ以来とも言われているが「サッチャリズム」で永い経済の混迷から脱出をする過程で、国有企業の民営化によるコストダウン、失業率はうなぎのぼりとなる。
一方、国営住宅の払い下げなど労働者階級を救う政策を展開する。結果的に労働者階級の意識が、それまでの「どうせどうにもならない」から「やればチャンスはあるんだ」というふうに意欲的な傾向に変化するが、10人にひとりが失業する事態を経験した労働者階級に属するロック野郎はサッチャーが嫌い(?)なせいか、音楽的にコンセプトの変化は起こっていない。
イギリスではロックは労働者階級の音楽である。ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンのようにその功績により、世襲できない一代貴族になる例もあるが、その大半は労働者階級出身だ。
レディオ・ヘッド、スーパーグラスあるいはピンク・フロイドなど中産階級(ミドルクラス)のロックバンドは少ない。
大学卒が全体の2割程度しかいないイギリスであるがゆえに、レディオ・ヘッドがオックスフォード卒という理由だけでの工業都市マンチェスター出身のオアシスなどから口撃されるのはそのためだ。
労働運動や自由貿易主義を展開していったマンチェスターのサッカー好きな人々はクリケットや乗馬を愛好するアッパーやミドル階級が嫌いなのだ。
イギリスが独特の過激なカルチャーを発信しているのは、このためだと言える。
アメリカの資本主義に蠢く人種差別とベトナム戦争、イギリスの階級区別や北アイルランド問題。ロックンロールの歴史は表向きの喧噪の裏で、時代、時代のもがきとともに育ってきた。
表現するものにとっても、表現されたものに触れるものにとっても同じだ。
毎年「エルヴィス国際会議」がミシシッピ大学で行われている。
エルヴィス・プレスリーとはアメリカにとって何だったのか?世界に何を与えたのか?その再研究がなされているが、ロックの思想を倫理感として生活する人たちが増える現在、もっとロックそのものの研究が広義に正しく掘り下げて行われる必要がある。
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