2014年11月9日日曜日

ロックが不良の音楽といわれ続けてきた時代



かってロックは不良の音楽といわれ続けてきた。

しかしキング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーなどのロックンロールは音はそれ以前の音に対して反抗的であっても、詩はそれ以前と変わらないものだった。





しかしローリング・ストーンズの「サティスファクション」などにより、明らかに詩そのものに変化が起こってきた。最初に国家と正面切って対立したのは、キース・リチャーズだった。

そしてアメリカでは、…………


ビートルズやローリング・ストーンズ、彼等イギリス勢の不敵な表情の隙間から発信するパワーに共感を覚えたアメリカ人には、物質主義に対するカウンター・カルチャーの旗手として受け入れられ、全米各地で熱狂的な支持を受ける。


65年にビートルズが外貨獲得の功績により女王陛下から勲章を受けたことで、ロンドンは若者王国として世界中に認知されることになる。しかし、モッズは体制派となったビートルズを軽蔑、さらにはアナーキーなローリング・ストーンズすらも無視するようになる。

軟派モッズからサイケが発信され、アメリカに上陸する。

サイケは音楽的にはLSDの快感を表現したものとなり、その作品はドアーズ、ジェファーソン・エアプレインに代表される。66年、アメリカ経済は下降しベトナム戦争への介入は泥沼化していく。


同年イギリスも15年間続いた経済成長は終わり、経済危機に陥る。ティーンエージャー市場は壊滅状態となり、失業者が溢れる永い冬の時代に突入する。

やがて、セックスピストルズ、クラッシュなどがパンクを引っさげて音楽市場に登場、女王陛下へのまなざしが物議となりロックは創作された不良性を取り戻す。






この年、エルヴィス・プレスリーは意欲的にゴスペルのアルバムを製作、神々しいまでに昇華されたパフォーマンスは彼のキャリアの中でも光り輝き、アルバムはグラミー賞を獲得する。



ザ・ビートルズも変貌する。


それまでとは趣向を変えた彼等の最高傑作アルバム「REVOLVER」が発表される。
「REVOLVER」が誕生する背景は偶然の積み重ねだと思う。


社会の変化、アジアツアーで得た東洋思想、ボブ・ディランやブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)の影響、女王陛下の勲章、複数の影響が交差し、彼等の才能が開花する。

そしてモノから精神へロックの重心は移動した。






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